ケイ素のアセチレン類似化学種の安定構造

2009年8月23日公開

はじめに

ケイ素は周期表上で炭素の下に位置しており,原理的には炭素と類似した化合物をつくりうるはずです.例えばシランやジシランなどは,対応する炭素化合物に相当する構造をとることが知られています.一方で,不飽和結合を有するケイ素のエチレン類似化学種 (ジシレン) はエチレンのような平面構造はとらずに,トランス−ベント構造をとることが知られています.また,ケイ素のアセチレンC2H2の類似化学種Si2H2はMP2計算によると,アセチレンとはかなり異なった構造をとることが知られています (ref. 1).本稿では,ab initio分子軌道法によってSi2H2の構造と相対安定性を求めるとともに,DFT法によって相対安定性をどの程度記述できるか検討しました.

分子軌道法による相対安定性の評価

まずは,Si2H2の相対安定性を分子軌道法で評価します.構造最適化はMP2/cc-pVTZレベルで行いました.その構造を図1に示します.

H-Si≡Si-H,ジグザク型構造Si≡SiH2,カルボニル型構造SiHHSi,潰れた四面体型構造SiHSi-H,Si-H-Si三角形のSi頂点から水素が結合した構造
図1:MP2/cc-pVTZによる最適化構造.

これらの構造を用いて,全電子エネルギーをより高精度なSCS-MP2/cc-pVQZ,CCSD(T)/cc-pVQZで求めました.

表1:MP2/cc-pVTZレベルの構造に基づいたSi2H2の相対安定性 (ΔE,kcal/mol).最も安定な構造を基準 (0 kcal/mol) とした.RMSはCCSD(T)の値を参照値として求めた.
手法 C1 C2 C3 C4 RMS
MP2/cc-pVTZ 19.39 16.00 0.00 9.98 1.93
SCS-MP2/cc-pVQZ 18.54 12.97 0.00 10.00 0.25
CCSD(T)/cc-pVQZ 18.22 12.89 0.00 10.29 -

安定な構造はC3構造でアセチレンの構造からはかけ離れた構造です.ちなみに,ほかの構造と比べると10 kcal/mol以上安定です.

CCSD(T)の結果とSCS-MP2の結果は非常によく一致しており,SCS-MP2は本系において有効な手法であるようです.MP2も定性的に正しい結果を与えていますが,C2構造を過大に不安定に見積もるようです.

DFTによる相対安定性の評価

分子軌道法のときと同様の構造異性体を,BOP/pc-2 (triple-zeta基底) で構造最適化し,DFT/pc-2レベル,またはDHDF/QZVPレベルでエネルギーを求め直しました.

まずは構造です.

H-Si≡Si-H,ジグザク型構造Si≡SiH2,カルボニル型構造SiHHSi,潰れた四面体型構造SiHSi-H,Si-H-Si三角形のSi頂点から水素が結合した構造
図2:BOP/pc-2による最適化構造

MP2/cc-pVTZレベルの構造とBOP/pc-2レベルの構造を比較すると,結合長は長めになりましたが,結合角は同程度でした.

表2:BOP/pc-2レベルの構造に基づいたSi2H2の相対安定性 (ΔE,kcal/mol).最も安定な構造を基準 (0 kcal/mol) とした.RMSはCCSD(T)の値を参照値として求めた.
手法 C1 C2 C3 C4 RMS
BOP/pc-2 16.35 11.08 0.00 8.59 1.80
BP86/pc-2 18.82 14.82 0.00 9.35 1.28
PBE/pc-2 19.55 15.91 0.00 9.52 1.96
TPSS/pc-2 18.61 13.91 0.00 9.15 0.91
M06-L/pc-2 19.97 15.91 0.00 9.05 2.14
B3LYP/pc-2 19.86 11.95 0.00 10.41 1.10
BHHLYP/pc-2 21.76 11.43 0.00 12.57 3.37
B3PW91/pc-2 21.76 14.70 0.00 10.83 2.32
PBE0/pc-2 23.20 15.86 0.00 11.40 3.41
LC-BOP(μ=0.47)/pc-2 29.52 14.04 0.00 14.97 7.09
TPSSh/pc-2 20.20 14.10 0.00 9.96 1.35
M06/pc-2 21.04 14.11 0.00 10.60 1.78
M06-2X/pc-2 27.78 18.62 0.00 13.18 6.65
B2PLYP-D/QZVP 19.30 13.18 0.00 10.27 0.65

B2PLYP-DとTPSSがCCSD(T)とよく一致した結果を与えました.RMSは1以下で非常によい結果です.また,B3LYP,BP86,TPSShも比較的精度がよく,RMSは1.5以下でした.

一方で,HF交換の混成比が高い汎関数であるBHHLYP,HF交換の比率を長距離補正したLC-BOPは定性的に誤った結果を与えました.同じくHF交換の比率の高いM06-2Xは,定性的には正しい結果を与えていますが,他の汎関数に比べて,誤差は非常に大きくなっています.HF交換の混成比が高い汎関数は本系の記述に不向きであると考えられます.

結論

今回,分子軌道法によってSi2H2の構造と相対安定性を求めるとともに,DFT法によって相対安定性をどの程度記述できるか検討しました.

分子軌道法による構造の比較では,Si2H2はアセチレンC2H2とは異なり,直線状の構造をとらないことがわかりました.また,相対安定性の比較の結果,最安定構造はSi−Si結合上に水素が乗ったような構造であることがわかりました.

DFTでは,B2PLYP-D,TPSSがCCSD(T)に近い精度で相対安定性を見積もれることがわかりました.一方で,HF交換の混成比が高い汎関数や長距離補正汎関数は誤差が大きく,さらには定性的に誤った結果を与えることから,本系には不適当です.

計算方法

構造最適化は,分子軌道計算ではMP2/cc-pVTZレベル,DFT計算ではBOP/pc-2レベルで行いました.それぞれの手法で得られた構造を元に,全電子エネルギーを求め,その差から相対安定性を見積もりました.MP2,CCSD(T)およびB2PLYP-D以外のDFTの計算はGAMESS 12 JAN 2009 (R3)で行いました.SCS-MP2,B2PLYP-Dの計算はORCA 2.7.0betaで行いました.

参考文献