2009年7月26日公開
2009年8月9日修正
密度汎関数理論 (DFT) では様々な汎関数が提案されています.なかでもよく利用されるのはB3LYPですが,場合によっては定性的にも誤った結果を与えることもあります.本稿では,有機化学の教科書においてベンゼンの共鳴エネルギーの説明に用いられる,ベンゼンや1,3-シクロヘキサジエン,シクロヘキセンの水素化を例にとり,種々の汎関数の精度を比較検討します.
シクロヘキセン,1,3-シクロヘキサジエンおよびベンゼンの水素化は以下の反応式で表されます.
これらの反応のエンタルピーΔHが,それぞれの反応の水素化熱になります.それでは様々な汎関数で計算した結果を表1-3にまとめます.
方法 | 水素化熱ΔHH [kcal/mol] | 誤差 [kcal/mol] |
---|---|---|
実験値 (ref. 1) | -28.09 | - |
B3LYP/6-311+G(d,p) | -26.20 | 1.89 |
B3PW91/6-311+G(d,p) | -28.82 | -0.73 |
O3LYP/6-311+G(d,p) | -30.02 | -1.95 |
PBE0/6-311+G(d,p) | -30.90 | -3.81 |
PBE/TZV(2d,2p) | -27.73 | 0.36 |
B3PW91/cc-pVTZ | -28.31 | -0.22 |
B3PW91/6-311+(2df,p) | -28.05 | 0.04 |
M06-2X/MG3S//B3PW91/6-311+(2df,p) | -29.18 | -0.94 |
B2PLYP-D/def2-QZVPP//B3PW91/6-311+(2df,p) | -28.95 | -0.86 |
M06-2X/MG3S//PBE/TZV(2d,2p) | -28.97 | -0.88 |
B2PLYP-D/def2-QZVPP//PBE/TZV(2d,2p) | -28.81 | -0.72 |
方法 | 水素化熱ΔHH [kcal/mol] | 誤差 [kcal/mol] |
---|---|---|
実験値 (ref. 2) | -54.26 | - |
B3LYP/6-311+G(d,p) | -50.93 | 3.33 |
B3PW91/6-311+G(d,p) | -56.41 | -2.15 |
O3LYP/6-311+G(d,p) | -58.65 | -4.39 |
PBE0/6-311+G(d,p) | -62.54 | -8.28 |
PBE/TZV(2d,2p) | -53.88 | 0.38 |
B3PW91/cc-pVTZ | -55.45 | -1.19 |
B3PW91/6-311+(2df,p) | -54.98 | -0.72 |
M06-2X/MG3S//B3PW91/6-311+(2df,p) | -56.91 | -2.65 |
B2PLYP-D/def2-QZVPP//B3PW91/6-311+(2df,p) | -55.90 | -1.64 |
M06-2X/MG3S//PBE/TZV(2d,2p) | -56.86 | -2.60 |
B2PLYP-D/def2-QZVPP//PBE/TZV(2d,2p) | -55.67 | -1.41 |
方法 | 水素化熱ΔHH [kcal/mol] | 誤差 [kcal/mol] |
---|---|---|
実験値 (ref. 3) | -49.06 | - |
B3LYP/6-311+G(d,p) | -41.13 | 7.93 |
B3PW91/6-311+G(d,p) | -49.06 | 0.00 |
O3LYP/6-311+G(d,p) | -52.36 | -3.30 |
PBE0/6-311+G(d,p) | -57.93 | -8.87 |
PBE/TZV(2d,2p) | -46.26 | 2.80 |
B3PW91/cc-pVTZ | -48.32 | 1.74 |
B3PW91/6-311+(2df,p) | -46.87 | 2.19 |
M06-2X/MG3S//B3PW91/6-311+(2df,p) | -49.89 | -0.83 |
B2PLYP-D/def2-QZVPP//B3PW91/6-311+(2df,p) | -47.26 | 1.80 |
M06-2X/MG3S//PBE/TZV(2d,2p) | -49.87 | -0.81 |
B2PLYP-D/def2-QZVPP//PBE/TZV(2d,2p) | -47.07 | 1.99 |
表4に計算した水素化熱と実験値との間に生じた誤差の二乗平均平方根 (RMS) を示します.
方法 | RMS |
---|---|
B3LYP/6-311+G(d,p) | 5.09 |
B3PW91/6-311+G(d,p) | 1.31 |
O3LYP/6-311+G(d,p) | 3.36 |
PBE0/6-311+G(d,p) | 7.34 |
PBE/TZV(2d,2p) | 1.64 |
B3PW91/cc-pVTZ | 1.22 |
B3PW91/6-311+(2df,p) | 1.33 |
M06-2X/MG3S//B3PW91/6-311+(2df,p) | 1.69 |
B2PLYP-D/def2-QZVPP//B3PW91/6-311+(2df,p) | 1.49 |
M06-2X/MG3S//PBE/TZV(2d,2p) | 1.65 |
B2PLYP-D/def2-QZVPP//PBE/TZV(2d,2p) | 1.47 |
全体的な傾向としてB3PW91が実験値とよい一致を示しました.GGA汎関数のPBEもなかなか優秀です.
B2PLYP-Dもよい一致を示しています.M06-2Xは1,3-シクロヘキサジエンの水素化熱の見積りがやや悪いようですが,平均すれば比較的よい一致を示しています.このあたりは流石といったところでしょうか.なお,これらの計算では構造最適化をB3PW91で行った場合もPBEで行った場合も同程度の精度であり,DFTとtriple-zetaレベルの基底関数で十分な精度の構造が得られるようです.
一方で,DFT計算のスタンダードであるB3LYPは精度が悪いです.とくにベンゼンの水素化熱では8 kcal/mol近い誤差があります.O3LYPではベンゼンの水素化熱の誤差が改善されて,平均的にはだいぶまともになっています.PBE0はこの種の問題には不適当なようで,1,3-シクロヘキサジエンとベンゼンの水素化熱を8 kcal/mol以上も過大に見積もります.
今回,シクロヘキセン,1,3-シクロヘキサジエン,ベンゼンの水素化熱を様々なDFT計算によって求めました.汎関数にはB3LYP,B3PW91,O3LYP,PBE0,PBE,M06-2X,B2PLYP-Dを用いましたが,B3PW91/cc-pVTZがもっとも精度良く,今回の系の水素化熱を見積もれるようです.
一方で,B3LYPは誤差が大きいという結果になりました.今回の場合は実験値があるので良いのですが,実験値が得られていない系に応用する場合,とくに定量性が求められる場合には,小規模な系におけるCCSD(T)などの高精度の電子相関理論の結果をよく再現する汎関数を使う等の工夫が必要であると考えられます.
B3LYP,B3PW91,O3LYP,PBE0,PBEの各汎関数を用いた計算はPC GAMESS/Firefly 7.1.Fを用いて行いました.M06-2Xの計算はGAMESS 12 JAN 2009 (R1) または12 JAN 2009 (R3)を用いて行いました.B2PLYP-Dの計算はORCA 2.7.0betaで行い,計算の高速化のためにRIJCOSX近似を用いました.TZV(2d,2p)基底はPC GAMESS/Fireflyに組み込まれたものを使用しました.MG3S基底はTruhlarとZhaoによって定義されたものです.ハイブリット汎関数を用いた計算では,熱力学補正値をscaling factorでスケールしました.Scaling factorの値はそれぞれ,0.9688 (B3LYP),0.9648 (B3PW91/6-311+G(d,p)),0.9686 (B3PW91/6-311+(2df,p)),0.9690 (O3LYP),0.9594 (PBE0) (以上ref. 4の値),0.962 (B3PW91/cc-pVTZ,ref. 5) としました.
水素化熱の実験値はNIST Chemistry WebBookより引用しました.複数のデータがある場合には平均値を利用しました.
熱力学補正値のscaling factorは以下の文献から引用しました.